★夢を夢と知るのは夢さめたとき★
ヘンな夢を見た。。(>_<)(>_<)
kitty には、、、よく ある。。
あり得ないでしょう、、、このsituation 
あり得ないでしょう、、、この登場人物 
あり得ないでしょう、、、この展開 

いや、あるかな。
いや、やっぱり、あり得ない (>_<) (>_<) (>_<)
さては、、、夢 ? ですな。。
夢の中で、自問自答することって、あるよね。。
ああ 夢だった・・・と 知らされるのは、「夢 さめたとき」 
★★★
今日は、
『なぜ生きる』
(高森顕徹先生監修) の一節を
紹介いたします
(『教行信証』)
(本当の人生の目的を知らないから、
『よくぞ人間に生まれたものぞ』の生命の歓喜がないのである)
『真』とは「人生の目的」であり、
『仮』とは、生きがいや趣味、目標などの 「生きる手段」のことだ。
「目的」と「手段」のケジメのつかぬのを、
「真仮を知らざる」と言い、生命の大歓喜のないのを
「如来広大の恩徳を迷失す」と言われている。
「真」と「仮」の区別は、
無明の闇が「死」んで、
真仮を知る心の「生」まれる
「一念」のときでなければ分からない。
たとえば、夢で火災にあい、必死に逃げる。
ビルの屋上に追いつめられて、 もうだめ!と覚悟したとき、
汗びっしょりで目がさめる。
なあんだユメだったのかと知るのは
夢さめたときである。
夢の中では、ユメがユメと分からない。
ましてや、さめた世界など知るよしもない。
夢さめたとき、夢と現実が同時に明らかになる。
『夢』を『夢』と知るのは、
夢さめたときであるように、
『仮』を『仮』と知らされるのは、
『真』が明らかに知らされたときである。
真と仮が明らかになるのは同時なのだ。
如来広大の恩徳に生かされ、生命の大歓喜を得た一念に、
『人身受け難し、今すでに受く』 の 「人生の目的」 が知らされる。
同時に、生きがいや趣味、目標は、
この「目的」を果たす「手段」であった、とハッキリするのである。
臓器移植までして、なぜ生きるのか。
苦しくともなぜ自殺してはならぬのか。
人命は地球より重いといわれるのはなぜか。
数多い人生論が曖昧模糊で終わるのは、
生きる「目的」と「手段」が峻別できないだけである。
真仮の人生を一念で截つ「弥陀の誓願」は、
まさに利剣というにふさわしい。
この一念で、
真(なぜ生きる=人生の目的)と
仮(どう生きる=生きる手段)を
判然と知らされた聖人は、
如来広大の恩徳に感泣しつつ、
かのたくましい生涯を貫かれたのである。
(『なぜ生きる』2部27章より)
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S.H. says:
夢の中で、「これは夢か」とうすうす気づいているときと、全く分からず没頭しているときがあります。例えば、頭髪がなくなる夢を見ますが、全く夢と気づかず、「とうとう自分にもその時がきたか」と観念して大いに落胆します。が、夢さめて、「ああ夢だったかと」生き返った気分になります。それとは別に、夢の中で「薄くなってきた」と気づきながら、「たぶんこれは夢だから大丈夫」とうすうす気づいているときがあります。
いずれにしても、夢さめて、はげていなかったことの喜びは長続きしません。
それに比べて、真仮を知ったときの喜びは、たとえようもないことでしょう。
kitty says:
S.H.さん★
いつも丁寧に、コメントくださり、
本当にありがとうございます!! (*^_^*)
なかなか・・・
なかなか・・・
生々しい夢ですね。。
これはきっと夢だ~と思いながら、
さめないとハッキリしない。。
やはり
夢を夢と知るのは
夢さめた時なのですよね。
では、、
いま、、
この瞬間、、
夢か、否か。。。
なかなか
なかなか
「夢」とは
奥深いものですね。。
真仮の水際—-。
微塵劫さまよう生命が
ただひとつ
求めている決勝点、
親鸞聖人から明らかに教えていただいている仏縁★
この至福に
合掌せずにおれませんよね。(*^_^*)