★二種深信を知らねば『歎異抄』冒頭から読めず !!★
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「弥陀の誓願不思議に
助けられまいらせて
往生をば遂ぐるなり」と信じて
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有名な 『歎異抄』 の冒頭ですね 
この 「信じて」 は
世間一般で いう 「信じて」 とは
根本的に違うのです
★★★
まず、、、
「信じて」 とか 「信じる」 とは
どういうことか
考えてみましょうか。。。
★★★
ふつう
「信じている」といえば、
「疑っていない」ことだと思われますね。
「信じている」=「疑っていない」 と。。。
★★★
しか~し、
疑う余地の全くないことなら
信ずる必要はないのです 
★★★
信じるのは
疑いの心が ある時です。
★★★
つま~り、
「信じている」=「疑っている」
ということなのです 
★★★
え~っ 
それは
いったい
どういうこと~っ 
信じる って どういうこと 
★★★
そんな疑問に お答えくださっています。 (*^_^*)
『歎異抄をひらく』
(高森顕徹先生著)から
学ばせて頂きましょう

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一般には、
金が儲かる、病気が治る、息災延命、家内安全などのゴリヤクを、
仏や神に祈念することを「信心」と言われている。
また、神仏を深く信じて「疑わないこと」と
考えている人がほとんどだ。
しかし、よく考えると、
疑う余地の まったくないことなら
信ずることは不要になる。
「夫は男だと信じている」と言う妻はないだろう。
疑いようがないからである。
ひどい火傷をした人は、
「火は熱いものだと信じている」とは言わない。
熱かった体験をしたからだ。
疑いようのない明らかなことは「知っている」とは言うが、
「信じている」とは言わない。
「信じる」のは「疑いの心」があるとき である。
難関の受験生は、試験は水もの、発表までハッキリしないから、
「合格を信じている」という。
「合格は知っている」とは言わない。
〝ひょっとしたら失敗するかも〟の、疑心があるからであろう。
世間で言う信心も同様だ。
ハッキリしない疑いの心を抑えつけ、
信じ込もうとする信心である。
だが、
親鸞聖人が肝要と言われる
「信心」は、
根本的に異質のものだ。
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★★★
世間で いわれる「信じて」「信心」とは ?
親鸞聖人の 教えられる「信じて」「信心」とは ?
その違いを よく知ることが大切ですね。
★★★
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「弥陀の誓願不思議に
助けられまいらせて
往生をば遂ぐるなり」と信じて
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この 「信じて」 は、
ハッキリしない疑いの心を抑え付け、
信じ込もうとする信心とは
根本的に異質のものなのです 
★★★
1月24日のテレビ座談会で
この 「信じて」 は
「二種深信 (にしゅ じんしん)」 であると
詳しく教えていただきました 
★★★
『なぜ生きる』(高森顕徹先生監修)
の一節を
思い起こさずにおれません ★
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「二種深信」を知らねば
『教行信証』はじめ、
聖人の著作一切は
読めないに違いない。
たとえ読んでも、
誤解曲解しか生まれてはこないであろう。
( 『なぜ生きる』 高森顕徹先生監修 2部11章 )
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★★★
「二種深信」を知らねば
『歎異抄』も 冒頭から読めない。(>_<)(>_<)
★★★
「二種深信」 とは何か。。。
『なぜ生きる』 2部11章から
詳しく書かれていますので

このご縁に ぜひぜひ読ませて頂きたいですね

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