★『歎異抄』の謎を解く KEY! 「三通りの念仏」★

★★★
人間に生まれ、
仏法を聞く目的は
弥陀の救いに あうためですね。
人生の目的とは → こちら ♪
弥陀の救いとは → こちら ♪
★★★
では
阿弥陀仏に救われるのは
いつ
なのか???
★★★
イチバン知りたいこと
『歎異抄』1章では
どのように書かれているでしょう。。
「弥陀の誓願不思議に たすけられ参らせて
往生をば遂ぐるなり」と信じ
「念仏申さん」と思いたつ心の発るとき、
すなわち摂取不捨の利益にあずけしめ給うなり。
★★★
「念仏申さん」と
思いたつ心の発るとき
★★★
「念仏称えよう」 という心
といっても いろいろですね。
★『歎異抄をひらく』 (高森顕徹先生著)★
から学ばせて頂きましょう。 (*^_^*)
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「念仏者」 と聞くと、
口で〝南無阿弥陀仏〟と称えている、
すべての人と思うだろうが、そうではないのだ。
化学的には同じ涙でも、
〝嬉し涙〟あり、〝悲し涙〟〝くやし涙〟など、
さまざまあるように、
ひとしく〝南無阿弥陀仏〟と称えていても、
称え心はまちまちである。
夜中に通る墓場で、魔除け心で称える念仏もあろうし、
肉親に死なれ、悲しみ心で称える念仏もあろう。
台本にあるから、仕事心で称える俳優の念仏もあるだろう。
同じく念仏称えていても、
「諸善よりも勝れているのが念仏」
ぐらいに思って称えている
念仏者(万行随一の念仏)もあれば、
「諸善とはケタ違いに勝れた大善根が念仏だ」と、
専ら称える念仏者(万行超過の念仏)もいる。
称え心を、もっとも重視された聖人は、
これらの念仏者を総括して
自力の念仏者 と 詳説される。
それとは違って、
弥陀に救われた嬉しさに、
称えずにおれない念仏者(自然法爾の念仏)を、
他力の念仏者と聖人は判別されている。
聖人の念仏者とは、いつもその中の、
他力の念仏者 であり、
弥陀に救われた信心獲得の人のことである。
(『歎異抄をひらく』 2部13章 234ページ)
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★★★
◆万行随一 (まんぎょう ずいいち) の念仏
◆万行超過 (まんぎょう ちょうか) の念仏
◆自然法爾 (じねん ほうに) の念仏
このように
念仏を 称え心で 三通りに分けられたのは
親鸞聖人が初めてなのです!
★★★
『歎異抄』 には
「念仏」 が たくさん出てきます。
1章から10章までに なんと 20カ所!!
★★★
「念仏申さんと思いたつ心のおこるとき」
ここは、どの念仏なのか、
正しく知らねばなりませんね。
★★★
「三通りの念仏」とは?
これが分からないと
『歎異抄』は 冒頭から読めなくなってしまう。(>_<)(>_<)
★★★
ここに! まさに!
『歎異抄』の謎を解くKEY が あるのでしょう★
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