★「念仏者」を三通りに分けて教えられた親鸞聖人★
★★★
富山県東部・朝日町での講演会 (*^_^*)
お昼休みには
親鸞聖人報恩講★電話座談会の感動 を
みんなで 分かち合いました(^o^)/~~
★★★
黒部や入善の お宅で
聞かれた方々も とても喜んでおられましたよ♪
★★★
『歎異抄』第七章の冒頭で
「念仏者は無碍の一道なり」 と断言されています。
★★★
親鸞聖人は
「念仏者」 を 称え心で 三通りに分けて
教えてくだされていますね。
ここに
世界の光といわれる理由の一端があるのだと 聞かせていただきました。
★★★
三通りの念仏について
学徒のYさんと復習していると
ご縁のあった
皆さんがどんどん集まってこられました。(^o^)/~~
★★★
「こうして もう一度 聞かせていただくと よく分かるね。
聞きっぱなしではダメよね」
と しみじみ語っておられました。
信心の沙汰が大切 !!! (*^_^*)
★★★★★
『なぜ生きる』 (高森顕徹先生監修)で
次のように教えてくださっています。
皆さんと一緒に拝読させていただきました ♪♪
*******************************
念仏者は、無碍の一道なり。
そのいわれ如何とならば、
信心の行者には、
天神・地祇も敬伏し、
魔界・外道も障碍することなし。
罪悪も業報を感ずることあたわず、
諸善も及ぶことなきゆえに、無碍の一道なり、と云々
(歎異鈔七章)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まず驚くのは、
「念仏者は、無碍の一道なり」の断言だろう。
念仏者と聞くと〝南無阿弥陀仏〟と称えている、
すべての人と思うだろうが、称え心はまちまちだ。
科学的に分析すれば同じ涙でも、
〝うれし涙〟やら〝悲し涙〟〝くやし涙〟など、
心はいろいろあるように、
口では同じく南無阿弥陀仏と称えていても、
〝念仏も善の一つ〟 ぐらいに思っている人もあれば、
〝ずば抜けた善だ〟 と信じて称えている人もいよう。
だが、
無碍の一道に生かされた〝うれしさ〟に、
称えずにおれない念仏者もあるのだ。
ここでいわれるのは、
まさにその念仏者であって、前章で述べた、
摂取不捨の至福の身になった、
他力の信心を獲得した人 のことである。
すぐあとに「信心の行者」と言いかえられていることからも、
それは明白であろう。
*******************************
こちらも どうぞ !
- No related posts found
Popularity: 2% [?]







